地底の果実 楽園の実
闇が幾つも籠の中で大きな口を開けている。それらが全て、自分を誘い込む様に禍々しい小さな紅い実を、幾つも見せている。一つでも口にすれば、
――戻れなくなって仕舞う。
「関口君」
はっとして顔を上げる。何時だって、暗澹たる内世界から自分を引き上げてくれるのは、この男だ。珍しく本から視線を上げているその男と目が合う。思わず萎縮した。その目は
闇の色をしていた。
そんな風に見ている位なら食べれば良いだろう、こうして出しているんだから遠慮する事等無いだろうに。通りの良い声が酷く遠く聞こえる。遠く響く。其処は暗いのだ。君は私にその実を喰えと云うのか。甘いと云う。私に、その紅を、一つでも口にすれば、戻れなくなって仕舞うと云うのに。魅惑的だと君が云ったのじゃないか。往くなと君が云ったのじゃないか。甘いと云うのか、君は、その紅の実が、
君は、
君は、。
「如何した、食べ賜えよ」
「京極堂……」
――嗚呼、誘われている。
紅い実が闇色の中から禍々しく光っている。無数の紅が並んでいるのだ。甘いと、闇色の男が云う。戻れなくなって仕舞うと云うのに。魅惑的だと、その世界に往く事を止める男が云った。闇の紅い果実は、籠の中に盛られている。幾つも。
滅多に鳴かない猫が、にゃあ、と短い声を上げた。
(ハーデスの実、冥界の果実)
「剥いて」
目の前に転がったのは紅の実。知恵の果実。蛇が齎した追放の切欠。
「あんたが手土産を持って来るとは、明日は雷雨かな」
「いいから剥け。僕が食べたいと云っているんだ」
「どうしたんですこれ」
「食べたかったから買ってきた」
掌で玩ぶ。片手に少し余る程度の紅の実は、毒々しささえ兼備えて鈍く光を反射した。
早くしろ、と男が尚も云う。
古来より神の姿は完璧な姿で描かれてきた。それに似た男が、微笑う。罪を自ら喰うのだと。
「千鶴子は居ませんよ」
「だからお前に剥けと云ってるだろうが」
「自分でやれば良いでしょうに。本当に食べるんだろうね」
「食べるよ」
――お前も食べるなら
神の姿をした男が、唆笑う。
知恵の果実。世界を生出す事と維持する事を義務付けられる切欠の実。地に這う事しか出来なくなった原因の、。
その先には、果たして何が在ったと云うのか。
「――成程、それでは剥いて来るとしよう」
そうして男は、世界を維持する責を負う。
知恵の実に手を伸ばした男を嗤う。何時もの様に寝転んだ先、見上げた空色は蒼を隠して雲が支配しようとしていた。
遠くで甘い香りが漂う。今はまだ、遠く。
(神の果実、望郷の実)