木々の合間から空を見渡せる場所の下に、そこは在る。
一面に真っ白な白詰草が咲き誇るその場所は、彼の人が自分だけに教えてくれた場所だった。
白い花の絨毯の上に身を投げ出すと、仰いだ先に葉々の合間から真っ青な空が覗く。
日の光が柔らかく差し込む。まるで彼の人が自分に向けてくれていた視線さながらに。
やがて優しく吹いていた風が凪ぐのを、劉輝は、瞳を閉じたまま感じた。




「・・・こんなところにいらしたんですか、主上」


さく、と若菜が踏みしめられる音が耳元で響く。
安心しきっていたとはいえ、隠されもしなかった気配に、こんな距離になるまで気が付かなかった。


「・・・静蘭」


思わずがばっと音がしそうな程に勢い良く起き上がったが、
傍らにいた人物が、自分の良く知る人だと解り、ふたたび仰向けになって寝転ぶ。


「こんなところにいらしたらお風邪を召されますよ。
 ついでに言いますと、藍将軍と絳攸殿がものすごーくお怒りです。」


ついでに、と銘打たれて言われた内容の様子がありありと目に浮かんで、思わず劉輝は顔をしかめた。


「む・・・しかし、余にも休息は必要なのだ」

「否定はしませんが、せめて行き先を告げてからにされたらどうですか」

「そんなことしたら、行く前に止められるに決まってる」


ぷいと拗ねた子供の様に横を向いてしまう。
ざぁ、と風に呷られて葉々が音を立てる。
軽い布ずれの音がしたと思うと、ぱさりと自分に薄い布がかけられた。
それを自分にかけたであろう人物を仰ぎ見ると、肩をすくめて、
しょうがないですね、といったようにくすりと笑っていた。
それに気分をよくして、ぐるりと、もう一度木々の合間から覗く蒼穹へ顔を向けた。
掴める筈が無いと解りきっているのに、その欠片に触れることが出来ないかと、手を伸ばす。
日の光を遮ったことで、手が影で見える。
当然、空をきった手を下ろそうとした一瞬前に、柔らかくその手をとられた。
その先を見やれば、同じように柔らかい微笑を向けてくれる、兄の姿。

(ああ、そういえば一度だけ―――)

まだ、自分が幼かった頃、彼の人が、この場所を教えてくれたときに。
静蘭の手は、毎日剣を握るだけあって、長い指でありながら、しっかりとした「男性の手」だった。
自分とは、違う。
その掌の質感が、今の自分と彼の距離を端的に現しているような気がして、思わず握り返した。


「―――余は昔、水が嫌いだった」


手は今だ、空に向けたまま静蘭の掌を弄くっている。


「怪我だらけだった頃、傷口に触るとすごくしみたのだ。だから、できるだけ水には近づかなかった」


掌から指先へと辿る。静蘭はされるがままに片手を差し出していた。
劉輝の手はまだ、空に向けられたままだ。
その中に、暖かな手を収めたまま。


「でも―――清苑兄上が、余の傷を洗ってくださった日から、余は水が嫌いではなくなった」


ぴくり、と微かに静蘭の手が震えたのがわかった。
それは、直に触れていないとわからない程度ではあったけれど。
寝転んだまま首をめぐらせれば、相変わらず綺麗に微笑んでいる兄の顔。
だがその瞳の奥に、微かな動揺が見え隠れしていた。
そんなつもりで、この話をしたわけではないのだけれど。
片手は絡めたまま、もう一方の手で、自分の隣をポンポン、と叩く。隣に座れ、と。
遊ばれている手はそのままに、大人しく隣に腰を降ろした静蘭に、満足したように笑う。
日の光が柔らかく反射して、綺麗な銀の髪を光らせる。
ぽっかりと空いた青空という名の穴を見やる。
空に伸ばしていた手は絡ませたまま、静蘭との間に落した。白詰草の上に。


「余は、空も嫌いだった」


ざぁ、と風が駆け抜ける。
静蘭の細く、色素の薄い髪を吹き上げて去っていく。
同じように劉輝の髪が曝されて、顔にかかったそれを、静蘭の指が優しく横へと払う。


「辛い時程きれいに晴れていたり、兄上と遊べるのを楽しみにしている日に限って雨が降ったりと―――
 人の気持ちを知らずによくも、と何度も思った。」


触れた指に頬を摺り寄せる。絡ませたままの手に力を込める。
消えてしまうと思ったわけではないけれど、今のこの時間が、ずっと続くわけではないから。


「けれどすこし経って、自分の力ではどうしようもないと
 ―――兄上でさえ、どうにもできないものだと解って、それきりどうでもよくなった。」


ちらりと、隣に座る彼の人の顔を盗み見る。
穏やかに微笑んだままの瞳の奥には、未だ動揺が見え隠れしている。


「・・・劉輝」


らしくない弱々しい声に、思わずくすりと笑ってしまった。
解っていらしただろうに、と。
末の弟に対しての自分の存在が、どれほど大きかったか、など。


「最近までは、自分の心鼓の音が嫌いだった」

「―――劉輝!!」


先ほどとは別の意味でらしくない声音に、けれどそれを向けられた劉輝の瞳は驚く程凪いでいた。


「独りでいる時に、煩いくらいに耳によく響いた。どんなに静かな場所でも必ず。
 それが酷く耳障りで―――いっそ、消してしまいたいと、ずっと思っていた。」


劉輝は、目を逸らさなかった。
嘘ではなかった。
膝を抱え、ただひたすらに己の中に閉じこもろうとする程に、その音が響いて仕方なかった。
いっそ聞こえなければ。何度も思った。


「私には、本当に、清苑兄上しかなかったから―――」


だが、本当にその音を止めるにはまだ勇気がなくて。いや、幼い自分は方法がわからなかっただけかもしれない。
いずれにせよ、その音は未だ止むこと無くあるのだが。


「けれど今は、もう気にならない」


ふわりと微笑む。風が舞う。二人の間をすり抜けてゆく。
少し攫われた温度を取り戻すように、兄の下へ寝返りをうつ。甘える猫のように身を摺り寄せる。


「今は、すぐ傍に、たくさんの人がいる・・・いてくれる。
 秀麗も、静蘭も、邵可も、楸瑛も、絳攸も―――」


劉輝は、待った。
目を逸らさず、ただ、兄の声で再び発せられるただ一言を、待った。
恐らく、先刻思わず発したことにも気づいていないであろう、その音を。
もう、何度も聞くことはできないから。
空気が、揺れる。
静蘭が静かに、ゆっくりと息を吐くのをじっと見つめた。


「―――劉、輝・・・」


その音が、吐息と共に吐かれるのを。
ざぁ、と、風が舞う。咎めるように、―――誰を?


「・・・兄上はいなくなってしまったけれど、代わりに、今の余には、静蘭がいてくれる」


風の余韻が走る。白詰草が、あわせて揺れる。『約束』の花が。
微笑む顔はそのままに、劉輝は静かに瞼を閉じた。手は絡ませたまま。
名を変えた兄は、もう自分だけを見てはいない。
けれどそれと同じように、今の自分は兄だけを見ているのではない。
それが、嬉しくて。幸せなことだと解っていて。―――けれど少し、寂しかった。


「・・・・・主上」

「そろそろ戻るか、静蘭」

「はい」


立ち上がる為に絡めていた手が離される。静かに。
・・・名残惜しそうに見えたのは、希望からだろうか。
草を踏む音が響く。寝転がっていたせいで衣についた葉を払う。
思ったよりも土がついていて汚れてしまっていた。・・・後で素直に謝ろう。


「主上」

「ん?」


落ち着きを取り戻した声に呼ばれて顔を上げた先に見えたもの。
―――先刻まで絡めていた、兄の手。
まだ、自分が幼かった頃、彼の人が、自分に差し出してくれたように。


「ここを過ぎるまで、でしたら」


ふわりと浮かべられた笑みは、欲しかったいつものもの。
少しだけ躊躇してから、そっと、その手を取った。
振り向いた先の蒼穹と白い花たちに、少しだけ感謝して。















予想通りかびっくりかはさておき、えいぷりるふーるなので彩雲国です(わけわからん)
しかし書きたいことの半分も書けてない・・・・・」 ̄|○川
それぞれお互い大事なものも増えて、そのために差し出す手もある。
けれど今までと同じようにはお互いの手を取ることはできなくて、差し出すこともできなくて。
劉輝の方がよくわかってる。諦めも覚悟も線引きもできてる。むしろ、未練があるのは兄の方。
えーと、先に手を放す覚悟をしたのは兄の方だけど、諦めが悪いのも兄の方、という(笑)
ああああダメだ。リベンジしますー・・・。