1:光に溶ける(芹・里奈)


かつて、ここに通っていたのは一人の少年だった。
紅く光るガラスの向こうの少女を愛しげに眺め、
心を休め、また同時に痛めてもいた。
だが今ガラスの中で眠るのは少女ではない。
そこへ通うのも、一人の少年から、二人の少女へと変わっていた。
「大きくなったね」
かつて少女だった胎児は、今ようやく人の形と見れる程度に成長していた。
それだけの時間が、あの北極への決戦の日から流れたという現実を示してくれていた。
となりに、急に現れた少女が居なくなってしまったことと、
自分達がこの場所へ立ち入ることができるようになったことと。
「遠見先生、成長したらまた乙姫ちゃんを出してくれるのかな」
「多分、乙姫ちゃんの方から出てくるよ、きっと。
 ・・・て、だから、乙姫ちゃんじゃないんだってば」
「あ、そうか。でもそしたらなんて呼べばいいんだろう」
「さぁ・・・・。」
「私達で考えてもいいかなぁ」
「・・・里奈はやめといたら?あんたセンスないし」
「そんなことないもん。」
ふわり。地下に風が吹く。
そこにいる二人を包むように。
髪を揺らすそれに気づいて、瞬間驚き、そして、顔を見合わせて笑う。
何も変わらない。変わりなどしない。
彼女は今も、自分達の傍に、こうしているのだから。
多少の寂しさと、目に見えない事を除けば。
「・・・ね、芹ちゃん」
「ん?」
「・・・今度生まれてきたら、総士先輩のこと、なんて言えばいいのかな」
「・・・・きっと乙姫ちゃんの事だから、もう知ってるよ。」
「今私達がこうして来てる事も、知ってるのかなぁ」
「なんかそれ、ちょっと恥ずかしいかも」
「うん。なんか急に恥ずかしくなってきた」
彼女が再び外へと足を踏み出すとき、今度は同じ教室で席を並べることはできないだろう。
だが、彼女は全てを記憶している、と医師は言った。
それが本当ならば、また一緒に笑い合うことができるはずだ。
たとえ、同じ場所に立てなくても。彼女が、かつての彼女ではなくても。
私たちは、共に笑いあったときの彼女を忘れることはないのだから。
ふわり。風が舞う。
微かに暖かいそれに包まれながら、ふと、思い出した。たくさんのことを。
隣にいた、その少女の笑顔を。



(懐古。彼女はまるで花のようだった。
 知らないところで蕾が育ち、去った後も咲き誇っていた頃の胸の温かさを思い出せる。)



2:泣き出しそうな空(総士)


泣いてもいいんだよ?
唐突に、彼女はそう言った。

「・・・なんだ、急に」
「だって総士、泣きそうな顔してるんだもの」

久しぶりにできた暇な時間を、乙姫と共に外を歩く。
今まで何ともなく、どうしようもなく恨めしいと思ったことはあったけれど、
それ以上のことを感じることも無くただ歩いていただけの道も、
彼女が隣にいるだけで急に鮮やかに目に映える。
気づかれにくい場所にある植物の芽吹き。
今雲に隠れている太陽の光の眩しさ。
波の寄せる音。地面の固さ。そこに響く、二つの足音。

「ねえ総士」
「何だ」
「辛かったら、泣いてもいいんだよ?」

乙姫の後ろをゆっくりとついていた足音が止まる。
先に止まっていた乙姫との間隔をそのままに、
振り向いていた彼女の双眸に捕らえられたまま、風が二人の長い髪を凪ぐ。

「辛くなんかない」
「本当?」
「ああ」
「そう。」

それだけ言うと、くるりと長い髪を靡かせて、また前へと歩みを進める。
先刻よりも速度の落ちた歩調に、自然距離が狭まる。
雲の厚さが増して、太陽の光が届かない。

「乙姫」

消えそうだ、と思った。

「だってね、総士」

泣きそうだ、と彼女は言った。
それは、誰が?

「総士はね、大地みたいだって思ったの」

暗さが増す。太陽の光が届かない。
ついに再び歩みが止まった彼女が仰いだ空は、
いつもと似つかわしくない程暗く、雲が立ち込めていた。
泣きそうだ、と思った。

「空が落した雨を、ただ受け止め続ける、大地みたい。
 ずっと降りつづけていたら、いつか土砂崩れとか、起こすかもしれないのに、
 そのことも知ってるのに、でも受け止めつづけるしかないみたいに。」

ぽつり、と頬に触れた。涙だ、と思った。
誰の?一瞬自分のかと思ってから、いや違う。空か、と思い直した。
いや、雨だ、と思ったのは、この涙が、乙姫のかもしれないと思ったから。

「でもね、総士は総士だもの。崩れる前に、ちゃんと」
「乙姫」

頬に落ちた涙が広がる。肩に。頭に。掌に。
目の前の少女の黒い艶やかな髪が雨に濡れる。
細い肩が、雨に折れそうだった。

「乙姫、雨だ」

上着をそっと、少女にかけてやる。頭の上からではなく、肩に。
ぽつりぽつりと、徐々に、けれど確実に勢いを増す、涙。

「戻ろう。冷える」

こくりと頷くのを確認して、手を引いて地下への道を戻る。
見上げた空は濃い灰色を一面に塗りたくっている。
ざぁと激しく振り出した雨に二人、任せるままに濡れた。
その中に、本物の涙を隠して。



(泣けないのなら、空の涙に紛れて、いくらでも泣けばいい。それは君の涙ではなくなるから)



3:ほんの少しの神様の気まぐれ(総士)


「・・・・・ね、総士」
「何だ」

「『お兄ちゃん』って呼んで欲しい?」

その言葉の意味が脳で処理された瞬間、思わず口にしたコーヒーを吹き出すところだった。
なんとかそれを抑えた代わりに大いに咳き込んだが。
「・・・・・・何だ、急に」
たしかに以前呼び捨てをやめろと言った覚えはあるが、
その時にはあっさりと却下された覚えがある。
・・・・結局それに対して上手く返す言葉も見つけられず、
何も変わらないままでいるのが事実なのだが。
「芹ちゃんと話しててね、総士のことを、私の『お兄さん』って言ってたから。」
「・・・それは、どういう・・」
「私のお兄さんって聞いて、それが総士と結びつかなかったの」
・・・・・・・・・・これは、ショックを受けるべきこととして受け止めていい事だよな?
あまりにも乙姫がさらりと、何でもないようなことの様に言っているが、
言われている事の当事者は間違いなく自分であり、
その内容は傷つくのに値するだけの破壊力を持っている筈だ。
「・・・・・乙姫」
「だって、総士をそういう風に意識したことって、あんまりなかったんだもの」
「・・・・・・・・・・・・僕を虐めて楽しいか、乙姫」
今日は、厄日というやつだろうか。
何でいきなりこんなことを言われなきゃならないんだ。
食堂はがらりとして、他に人は居ない。
それがよかったような、悪いような。
目の前で(多分)無邪気に笑う妹の顔が見れなくて、情けなくもテーブルに顔を突っ伏した。
「あ」
乙姫が短く声を上げた。
突如、鳴り響く警報音。
「総士」
「来たか」
頭を切り替える。これから先の事は公事だ。
足早に食堂を去り、ウルドの泉へと向かおうとして駆け出したとき。
「頑張ってね、『お兄ちゃん』」
その日の戦闘がいつもより長くかかったのは、決して僕のせいではない。



(結局叶わなかった夢の一つ。)



4:瞳と瞳の合わせ鏡(乙姫)


眠る前のひと時。ふと顔を上げた先に、鏡に映った自分の瞳。

濃い深緑の中に現れるその紋様は、

ただの「人間」ではないことを端的に現すものだった。

決して、今の自分の状況を悲観しているわけではない。

自分をこうして生かしてくれた母や、大人たちに感謝している。

暖かく接してくれる友に感謝している。

自分に笑いかけてくれる兄の存在に、感謝している。

この立場でなければ見えなかった、沢山のことがある。

それでも。

つと、鏡の自分の瞳を、縦になぞってみた。

右手で触れたそれは、現実ならば右目になってしまうけれど。

実際、淡いダークグレーに走るそれは、彼を彼にした大切な傷。

その傷を負わせた少年に、自分もまた、目覚めさせられたのだから。

けれどこの瞳の紋様は、私を、私以外のものとして存在させている証。

そして同時に、私が今の私であることの証。

冷えた指先が、きゅっと握られる。

―――大丈夫。

「私はまだ、ここにいるよ」

鏡に映る自分の瞳が、初めて、少し、怖いと思った。




(ティンカーベルが消えてしまう。そういう危うさ。)



5:風の戯れ(一騎)


ひとり山に登るのは、久しぶりだった。
ここにくると様々なものを思い出して、なんとなく、足が遠ざかっていたから。
それでも今日は、部屋に入り込んできた暖かな風に誘われるように足を向けていた。
ふわりと先刻から自分の周りを包むあたたかな風に。
「ひさしぶり」
少し強めに吹いた風が、一騎の少し伸びた髪を乱す。
くすりと笑って、その風の感情を思う。
だがそれは結局は自分の想像の範疇でしかありえないことを知っているから、
声に出して答を言う事は、やめた。
一番見晴らしのいい場所の崖へと腰掛ける。以前から好きな、特等席。
蒼穹作戦の作戦内容の一つである、受けとった膨大なデータから開発された薬は、
いまや一騎の体の同化現象を、右目の視力奪うに留めていた。
身体機能に関する不都合は一切ないといっても過言ではない。
それほどまでに回復させることができた位には、作戦の成果はあった。
これも、母に感謝するべきかな、と思いながら、以前ははっきり見えていた家の連なりを見下ろす。
「そろそろ・・・出てこれるんだろ?」
暖かな風がふわりと舞う。肯定を返すように。
あの北極の戦いから、いくつもの季節が廻った。
雪は解け、桜が散り、落葉があり、そして再び空から雪が降りる。
それらを繰り返していくのと同時に、アルヴィスの主要スタッフに自分達が加わり、
ファフナーのパイロットには後輩達を迎え、フェストゥムとの対話を続けていた。
そしてその間ずっと、彼女は風になり、全てを「見守って」いる。
時に励まし、時に落ち着かせ。いつでも傍に居ることを、選択肢を与えることを止めず。
彼女が最期を迎えた岩戸では、次の「彼女」がもうすぐ大地に足をつけようとしていた。
「・・・間に合えばいいのにな」
知らず落ちた声に、暖かな風がざぁと辺りの木の葉を揺らす。
吹いた先にあるのは広い海。
彼が、かえった場所。
「君も、会いたいだろ?・・・いや、会わせたい、になるのかな」
帰ってきた風が、潮の香りを運んできた。
そういえば、いつか皆で海で遊んだこともあった。
「もしまた3人そろえたら、今度は一緒に、浜辺を歩いたりしよう。
 ここに花見でもいいし、冬だったら鍋かな。あ、そうか。3人じゃない・・4人、になるのか?」
頭を捻る一騎を、暖かな風が包み込む。
くすりと、笑うように。
なんとなくその声が聞こえた気がして、知らず頬が緩む。
「でも、今は進まないとな・・・前に」
水平線の向こうに沈む太陽が見せる色は、沢山のことを思い出させる。
そう、沢山、の。
立ち上がって見た先にあったのは綺麗な、とても綺麗な海と空で。
悲しくもないのに、何故か、涙が止まらなかった。

(見せてあげたい。見ただろうか。彼らもかつて、この夕日を。)



こちらより、「詩的な5題」お借りしました。